

◆神足勝孝
海軍技術中将
昭3(1928).8.20技研所員(研究部)/艦本部員(一部一課)/艦本造兵監督官
昭9(1934).4.1技研理学研究部部員
昭9(1934).11.15呉工廠砲熕部部員/砲熕実験部部員/魚雷実験部部員
昭10(1935).8.1呉工廠火工部長
昭12(1937).12.1火薬廠爆薬部長
昭14(1939).8.1火薬本廠爆薬部長
昭15(1940).11.15火薬本廠長
昭16(1941).4.21第二火薬廠長
昭19(1944).8.1艦本出仕/航本出仕/海軍省出仕
昭19(1944).11.15艦本技術監
昭19(1944).11.25艦本技術監/航本出仕
昭20(1945).9.15予備役
◆楠瀬熊治
日本の海軍軍人、火薬学者。最終階級は海軍造兵中将従三位工学博士。東京帝国大学名誉教授。高知県に沢村辰吾の三男として生まれ、楠瀬好静の養子となった。1891年(明治24年)に東京帝国大学工科大学火薬学科を卒業した後、フランスに留学した。1894年(明治27年)に帰国後、海軍少技士となった。1904年(明治37年)、造兵少監となり、翌年に造兵監督官としてイギリスに出張。1907年(明治40年)、造兵中監に昇進し、翌年に帰国。1911年(明治44年)、造兵大監となり、下瀬火薬製造所長、造兵廠火薬部長、海軍大学校教官などを務めた。1915年(大正4年)、海軍技術本部技術会議員となり、翌年には造兵総監に昇進した。1921年(大正10年)に造兵中将に任じられ、海軍火薬廠長を務めた。1924年(大正13年)に予備役に編入。また1898年(明治31年)より東京帝国大学工科大学講師も務め、1902年(明治35年)に教授に就任し、火薬学講座を担当した。翌年には工学博士号を受領。1923年(大正12年)、東京帝国大学教授を退官し、名誉教授となった。墓所は多磨霊園。長男好毅の岳父に田内三吉。長女芳子は木村健二郎の妻。1918年(大正7年)8月30日 – 従四位1924年(大正13年)3月24日 – 従三位
◆後藤兼三
大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。福岡県出身。1897年福岡