白瀬 葉舟(しらせ ようしゅう)

延岡藩白瀬葉舟写真師台紙鶏卵紙

延岡藩医の白瀬氏の関係と思われる。延岡藩医白瀬氏は白瀬道順(シーボルト門人)、白瀬揚州(妻の名は津谷)、白瀬永年と続き、白瀬永年の弟に白瀬炎郷、岩切孝哲(白瀬騏)がいる。幕末に、白瀬炎郷の孫・白瀬哲舟という人物が跡を継いでいる。
西南戦争時には、白瀬葉舟が応急手当所の医員として活動していた形跡がある。明治10年に白瀬葉舟が撮影した写真が残っており、写真師として活動した形跡がある。明治14年、見立番付「皇国名誉人名富録」に、「諸県高名家 詩書画 日向延岡 白瀬葉舟」と記載されている。

生年/出身: 宮崎(延岡)

開業年:

開業地、主要拠点: 宮崎(延岡南今街)

師匠:

弟子: