【古写真の調査後売却】大正天皇・お若い頃の肖像(写真師・鈴木S)

【古写真の調査後売却】大正天皇のお若い頃の肖像

◆大正天皇
日本の第123代天皇(在位:1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日 – 1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日)。諱は嘉仁(よしひと)、称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。明治天皇の唯一成人した皇男子(三男)であるものの、生誕時より病弱で幾度も大病に罹った。幼年期の個人授業の後、学習院初等科に途中入学するが、発達の遅れから中等科1年で中退。8歳で儲君、11歳で皇太子となる。皇太子妃選定における混乱(大正天皇婚約解消事件)を経て九条節子と結婚し、後の昭和天皇はじめ4人の皇子を儲けた。また、皇太子時代には沖縄を除く各道府県を巡ったほか、1907年には史上初の皇太子の海外渡航として大韓帝国を訪問した。1912年、明治天皇の崩御にともない天皇に即位する。しかし政治経験に欠けていたことと生来の気まぐれな性格から、不用意な言動がしばしば政治的混乱を招き、臣下からの信頼を得るに至らなかった。こうした中、次第に健康状態が悪化し、公務のみならず日常生活にも支障を来すようになる。1920年(大正9年)以降、病状が公表され世間に知られるところになり、1921年(大正11年)、裕仁親王が摂政に就任し、療養生活に入った。しかしその後も体調は回復せず、1926年の暮れ、肺炎に伴う心臓麻痺のため、47歳で崩御。漢詩を趣味とし、歴代天皇の中で最多の1367首の漢詩を詠んでいる。