鴻野 多平(こうの たへい)

鴻野 多平写真師台紙鶏卵紙

祖先は伊予国の有力豪族、河野氏。河野氏の祖を河野玉澄(飛鳥時代)といい、伊予国風早郡河野郷に居を構えた。40代・河野通軌で断絶している(1600年頃)。その後から系譜は不明。いつの頃か不明だが姓を鴻野と改めている。代々阿波国宮の島の村庄屋であった。明治初年、大阪心斎橋に出て写真台紙を創製。鴻野台紙は多く使用された。「鴻野製」と表記されている台紙が多く見られる。明治 11 年、杉浦六右衛門の支援により写真機械を販売。 明治 38 年、死去。二代目として鴻野岩次郎が継承。

生年/出身: 1850 愛媛(伊予)

開業年: 1868(明治初年 )

開業地、主要拠点: 大阪(心斎橋)

師匠:

弟子: 鴻野 岩次郎