
樋口桃雲
明治元年、横浜で写真を学ぶ。明治 10 年、甲府櫻町で開業。 明治 30 年、瀧田長八が学んでいる。 明治 43 年、山梨写友会が発足し、会長となる。 門人の野々垣鹿太郎は幹事。大正 15 年、死去。
甲斐国は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。7世紀に成立した。律令制下では東海道に属し、駿河国から甲斐国に通じる支線があった。国名の語源は不明であるが、本居宣長は『古事記伝』において、甲斐国出身の門弟で後に甲斐地誌『甲斐名勝志』を著している萩原元克の説に従い、山の峡(カヒ=間)、つまり山々間に由来するという説をあげている。近代には橋本進吉が『上代特殊仮名遣』において峡説を否定したことから新たな解釈が求められ、近年は平川南が古代甲斐国が官道である東海道と東山道の連結的に位置することから、行政・交通上の「交ひ」であったことに由来するという新説を提唱している。江戸時代には東海道や中山道とともに甲州街道が整備された。そして甲斐は江戸幕府の政治的・経済的中心地である江戸防衛の戦略正面と位置付けられ、甲府藩が成立し徳川一族や譜代大名による統治が行われた。享保年間には幕府直轄領化され甲府町方は甲府勤番による支配、在方は三分代官支配となり、幕末に至った。