
◆仙台四郎
江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて、現在の宮城県仙台市に実在した人物で、「人神」としても祀られている。旧字体を用いて「仙臺四郎」とも書く。
通説では芳賀四郎であるが、親族によれば「芳賀豊孝」。知的障害があり会話能力は低かったが、明治期に「四郎自身が選んで訪れる店は繁盛する」との迷信が南東北のマスメディアを巻き込んで流布し、売上増を企図する店舗等が四郎の気を引こうと厚遇した。
没後の大正期に入ると、仙台市内のある写真館が「四郎の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳って写真販売を始めた。商売繁盛のご利益は、存命中においては四郎の意志に依拠したが、写真による偶像化以降、(死没した)四郎の意志とは無関係になり、グッズを購買すればご利益が得られると転換された。1920年(大正9年)からの戦後恐慌以降、繰り返し発生する不景気において四郎のブームが度々発生し、商業神の稲荷神やえびす、あるいは、土着の松川だるまを凌駕して仙台で信仰され、さらには全国的に知られる福の神として定着した。
現状では民間信仰において神として崇められる一方、神であるか不明なキャラクター化も進んでおり、四郎が神と人との間で揺れ動く人神となっている。神としてのグッズ展開がある一方で、仙台市都心部の密教系仏教寺院ではキリスト教におけるサンタクロース姿にさせて飾ったり、仙台初売りや一般企業の広告ではキャラクターとして使用されたり、四郎の風貌やエピソードを設定として用いて、芝居の興行をする俳優、コントをするお笑い芸人、芸能活動をするローカルタレントが現れたりもしている。
明治時代には、千葉一が30歳頃の四郎を福島で撮影した写真が焼き増しされて販売されていた。大正に入る頃に、福島より仙台に移り仙台市内で開業した千葉写真館が「明治福の神(仙臺四郎君)」と銘打ってこの写真を絵葉書等に印刷し売り出した。この時から「仙台四郎」と呼ばれるようになった。現在残っている写真は上記の一種類だけである。この写真に写る四郎は、縞模様の和服に懐手をして笑っており、言い伝え通りに膝を丸出しにしているなど、四郎の人と為りをよく捉えたものと言える。この写真をオリジナルとして、肖像画家による作品が2つと、鉛筆画が1つ、計4つあり、それぞれらの複製の段階で細部の違いもできたりしたため、さらに幾つかの版の存在を確認できる。着物がはだけていないように見える物から、中には膝の奥に男根がそのまま写っているものまで有り、幅広い職種の如何を問わず、彼が福の神として厚く慕われて来た何よりの証拠ともなっている。また、ものの古さから昭和初期と見られる仙台四郎の人形もある。