
◆賀茂百樹
和学者、靖国神社宮司。
山口県周防国熊毛郡出身。姓は藤井。号は 藤井 中今亭、 藤井 葵園。
白井田八幡宮司の藤井厚鞆の三男として生まれる。
兄で国学者の藤井稜威は、婦人活動家の賀屋鎌子と結婚したため、政治家の賀屋興宣は甥。
1879年、広島に遊学。広島国学院や国風新聞社設立者でもあった兄の稜威のもとで、主に国書を読み学ぶ。
1884年、神宮教の教導職試補を申付けられ、後に少教正。兄の進めで、伊勢の外宮禰宜・棒園御巫清直翁の門で4年間学ぶ。
神宮皇学館に入るも中退。東京に出て、神習舎の上頼圀、栗里の栗田寛、圖書館に通い研学。
1893年、広島国学院助教授兼幹事。 同年山口県熊毛郡高松八幡宮と蒲井八幡宮の社掌を兼務。
1894年、兄の命もあり縣居岡部衞士賀茂縣主眞淵大人の家名を嗣ぎ、その祭祀後継者となった。
1895年、学事視察のため朝鮮に遊び、1896年、品川の縣居大人墓前にて、繼嗣報告祭を行う。
丸山作楽より賀茂眞定の名を戴く。 1898神宮教廣島本部長、部下教師検定委員長、
1899年、内務大臣より神宮奉贊會廣島本部長に任ぜられる。 1900年、『日本語源」10巻を刊行。1902年、内務省より神宮奉贊會理事を命ぜらる。
1903年、廣島縣賀茂郡西條町の御建神社・同郡吉土實村の正徳神社の社掌を兼補せらる。1903年、久我總裁より皇典講究所幹事、全国神職舎顧問を委託。
1905年、山口国学院顧問に推挙、広島県神職取締所副長に当選、皇典講究所長より広島県試験委員、広島県神職尋常試験委員、社司社掌試験委員を委託し、四等学正を授けられた。
1909年、長きにわたって三代目の靖国神社宮司を務めた。最後は病にて職を辞したが、在職30年。
その間、全国神職舎幹事、内務省より遊就館国賓監守、『靖國神社誌』発刊、1915年、戦役の功により’20勲6等瑞宝章。
正四位、従三位。享年75歳。