【古写真関連資料】明治中期から個人で写真撮影をしていた子爵・石井行昌

【古写真関連資料】明治中期から個人で写真撮影をしていた子爵・石井行昌

◆石井行昌
位階・勲等・功級 従三位
爵位・身分・家柄 子爵、旧公卿家
職業 殿掌
公家家格は半家。

石井家は葛原親王の子、大納言高棟の裔西洞院時慶の女行子より出た行子東福院のもとで石井局と称し後一家をなし石井と称した。
それより八代が石井行知(石井行昌の父)である。母は辰子。

石井行知の長男にして明治九年六月二十三日に生まれ、同十一年十一月父の死後家督を継ぎ、同十七年七月子爵を授けらる。
姉に石井善子。祖父は石井行光。妻は石井三枝子。
伯父石井行久(明九、三生、亡祖父行光四男)は伯爵滋野井家を相続し實麗と改名し善子(同一二、六生、同三女)は子爵慈光寺恭仲に嫁した。

長女は石井治子(同三六、五生)、長男石井行敬。二女は石井君子(同四四、四生)。三女石井恒子。
明治維新以降も東京に移らなかった京都公家。

1906年10月に京都御所の事務(殿掌)に就く。
1914年2月、掌典職も務めた。
明治27年頃から写真撮影を始めていたようで、多くの写真が京都府立総合資料館などに残されている。
1922年に従三位。

1923年(大正12)5月14日に死去。