砂川 鷺城(すながわ りょじょう)

砂川 鷺城写真師

本名は砂川雄峻。別名に鷺城逸史 。父は姫路藩士・砂川貫一郎。二男として生まれる。明治15年、東京大学を卒業。明治15年、東京専門学校創設にあたり、創立委員として小野梓や高田早苗などと共に大隈重信を支え、はじめ講師を務め、後に評議員・維持員を務めた。のち、大阪で弁護士として活動し、大阪弁護士会長を務めた。関西法律学校(後の関西大学)の講師となり、監事、主席理事を歴任。明治20年、大阪府会議員を務め、のち議長にも選出。明治35年、第7回衆議院議員総選挙に当選。大阪商業会議所特別会員。

桑田正三郎の『桑の若苗』に、娯楽写真家の団体「浪華写真倶楽部」の創立は明治37年であり、砂川鷺城奥戸自得、薄雷山(薄恕一。著名な医師)、大西素洲横尾重之木村喜代次郎などが関わり、石井吉之助宅を会場として写場を設けたと記載されている。

生年/出身: 1860

開業年:

開業地、主要拠点:

師匠:

弟子: