
古写真発見、業績に光 県東部の豪農 加賀美嘉兵衛光則 明治期 長男・平八郎、甲州の実業家育成 /山梨
幕末明治期に山梨県東部で地域の発展に貢献したとされる豪農「加賀美嘉兵衛光則」の立ち姿とされる古写真が見つかった。地元には顕彰碑なども残り、一部の郷土史家や学芸員には業績が知られた存在だが、写真は残されておらず、いわば歴史に埋もれた人物だ。写真をたどると、激動期を生きた豪農一家の盛衰が浮かび上がってきた。【梅田啓祐】
◆第10代・加賀美嘉兵衛(加賀美嘉兵衛光則)
1835-1891 明治時代の政治家。天保(てんぽう)6年10月22日生まれ。甲斐(かい)(山梨県)南八代村の豪農。明治11年東八代郡長となり,東山梨郡長もかねる。のち県内の民権派に対抗して立憲保守党の組織づくりにつくした。明治24年10月14日死去。57歳。名は光則。通称ははじめ次左衛門。
◆写真師・樋口桃雲
明治元年、横浜で写真を学ぶ。明治 10 年、甲府櫻町で開業。 明治 30 年、瀧田長八が学んでいる。 明治 43 年、山梨写友会が発足し、会長となる。 門人の野々垣鹿太郎は幹事。大正 15 年、死去。