【古写真の調査後売却】明治期撮影の美人芸妓2枚(鶏卵紙・手彩)

【古写真の調査後売却】明治期撮影の美人芸妓(鶏卵紙・手彩)

かつて日本全国に多くの花街(花柳界)があり、日本橋平松町、博多千代、名古屋丸の内、神奈川は蒔田、井土ヶ谷、磯子、鶴見、宮内(岡山県岡山市)釜石、小樽、奈良市南市町、徳山市才ノ森、倉吉岩倉町、千葉市蓮池、富山県朝日町の泊、など全国の遊郭街芸者町に芸妓も多数いた。第二次世界大戦以後は、児童福祉法の制定によって子どもの頃から仕込むことが困難になり、更に昭和40年代には娯楽と接客の多様化により花柳界も衰退し、芸妓の数は減り続けることとなった。宴席においては、芸妓よりも安価で歳の若い「コンパニオン」と呼ばれる酌婦を呼ぶことのほうが増え、特に地方で顕著であったが、芸妓としての下積み修業を積んでも宴席に呼ばれないのでは稼げぬとして、芸妓にはならずにスナックやクラブに勤める者が増え、芸妓であった者もそれらに転業する例が多く見られた。近年、海外では日本文化の人気に伴い芸者業に脚光が浴びせられている。オーストラリア人芸者であるフィオナ・グラハムは2007年に浅草でお披露目し、その後排除された。現在は深川で働いている。現在は17~18歳ほどでデビューする芸者が多い。那制度はほぼ無しに近い状態で、芸妓一人一人自前で着物などを用意する。