【古写真の調査後売却】写真師・堤董子が撮影した、芸妓・江良加代の肖像写真(鶏卵紙、台紙貼り付け)

【古写真の調査後売却】写真師・堤董子が撮影した、芸妓・江良加代の肖像写真(鶏卵紙、台紙貼り付け)

◆江良加代と西園寺公望
西園寺公望は生涯結婚せず、正妻はいなかった。明治13年、京都祇園井筒屋(現・祇園辰巳NEXUS)の芸妓・江良加代(当時18歳)を東京へ連れてきて結婚しようとするも、親族の反対に遭い断念した。一説には西園寺家の守神は弁才天であるため嫉妬深く、西園寺家は代々正妻はもたないという家憲があるという俗説があるが、これは誤りである。一方で、4人の女性を事実上の妻とした。

◆写真師・堤董子
父は赤染業で成功し、京都時計製造株式会社の代表、京都市電取締役などを務めた堤彌兵衛。次男として生まれる。本名は 堤徳三郎、堤徳三郎。慶応 3 年(明治初年とも)、京都二條通新町に開業。明治 12 年、西京人物志に堤德次郎の名が寫眞師として記載されているが、関係性は不詳。明治12年、京都の写真師による「同業親睦会」開催準備があり、吉田佐兵衛辻精一郎安平治角倉玄遠鎌田永弼舟田有徳酒井虎逸長谷川清之進、津田境(津田新太郎と同一人物か?)が参加している。明治13年、1月9日、京都の写真師による第一回親睦会が円山左阿弥樓で開催され、市田左右太藤井圏蔵安平治橋垣**舟田有徳堤董子吉田佐兵衛長谷川清之進三品**酒井虎逸堀真澄津久間**角倉玄遠鎌田永弼辻精一郎小寺準之助成井頼佐(または成井秀廿)、堀内信重野田**桂氏丸が参加している。明治 20 年頃、死去。嗣子が無く写真館は本家に因って処分された。