
明治期に末次本町に開業。ガラス原板写真や、絵葉書が残っている。
吾郷姓は、石見国邑智郡佐波郷吾郷(島根県邑智郡邑智町)がルーツという。三善宿禰からはじまる三善清連が吾郷に住み、四代の三善清房のときに吾郷清房を称し、代々尼子氏に仕えた。天文11年、吾郷清房の子・吾郷武則(吾郷大炊介武利、吾郷弾正武利命)が死去し、現地に墓が残る。笠松城主として名が残り、吾郷武則が祭られていた吾郷家の私祭する「弾正社」の境内に阿利神社が移遷したという。幕末期には、分家して商売で成功したものも出ているが、吾郷重次郎との関係性は不詳。
生年/出身:
開業年:
開業地、主要拠点: 島根(松江末次本町)
師匠:
弟子: