本木 昌造(もとき しょうぞう)

本木 昌造写真肖像人物
SN3G0332

諱は本木永久、幼名は本木作之助、本木元吉。本木昌三、本木笑三、本木咲三の表記もある。 生家は本木家の親戚である北島家、または馬田家とされる。 本木家は長崎平戸のポルトガル通詞の家系。 本木昌造の二代前・本木正栄は、英和辞典、仏和辞典を作っている。 天保 5 年、本木昌左衛門のもとへ養子に出される。 本木家へ行ったのちオランダ語を学び、西洋技術に関心を寄せた。 万延元年、飽浦の長崎製鉄所の御用係に任命される。またイギリスより蒸気船を買い入れ、船長となった。 文久元年、江戸などへ航海。 元治元年、江戸などへ航海。 明治 2 年、長崎製鉄所付属の活版伝習所を設立。 明治 2 年、フルベッキの斡旋で美華書館のウィリアム・ギャンブルから活版印刷を学んだ。 明治 3 年、武士への授産施設や普通教育の施設として新街新塾を設立。 明治 3 年、小幡正蔵、酒井三蔵を大阪に派遣し支所を設立。(のち大阪活版所) 明治 5 年、小幡正蔵、酒井三蔵を東京に派遣し長崎新塾出張活版製造所を設立(後の築地活版)。 明治 5 年、学制が施行される明治 7 年頃に新街新塾を閉鎖させられた。 明治 6 年、死去。

生年/出身: 1824 長崎

開業年:

開業地、主要拠点: 長崎

師匠:

弟子: