簗 又七(やな またしち)

簗 又七写真師台紙鶏卵紙

祖父、父も簗又七と名乗っていたよう。少なくとも祖父の時点で豊前中津藩士の家柄であった。祖父(1751年~1829年、本姓:生田。名は正記、次正。)は高山彦九郎、林子平、前野良沢らとも交遊し、江戸で剣、槍、弓、馬術をおさめ、文武両道に秀で、のち水戸藩指南役となった人物。

明治初期、築地の外国人に写真術を習ったという。 明治 4 年、東京西紺屋町の小川弥左衛門の下で写真を研究。 明治 6 年、豊前中津に写真館を開業。 明治 23 年、中津京町に複式写場を建設。 明治 23 年、第三回内国勧業博覧会に出品。

生年/出身: 1846 東京(江戸・木挽町)

開業年: 1873

開業地、主要拠点: 大分(豊前中津)

師匠: 小川 弥左衛門

弟子: