市来 四郎(いちき しろう)

島津斉彬撮影の図(明治32年刊行・照国公感旧録)
島津斉彬撮影の図(明治32年刊行・照国公感旧録)

父は薩摩藩士・寺師正容(寺師次右衛門)。 薩摩藩の資料に寺師正容が洋式帆船を造ったという記録が残っている。兄は薩摩藩士・寺師宗道。 薩摩藩士・市来政直の養子となる。市来政直は西郷隆盛の甥で、明治 5 年にアメリカ留学している人物。 次男として生まれる。通称は 寺師正右衛門。諱は広貫。薩摩藩士。 薩摩藩の軍艦、銃器の調達を担当し、箱館戦争に従軍。高島流砲術など火薬の勉学を修め、藩主・島津斉彬に認められ側近となる。その後、製薬掛、のちに砲術方掛となり、集成館事業などの要職を務めた。安政 4 年、薩摩藩主・島津斉彬が、宇宿彦右衛門と市来四郎に命じて、自分の姿をダゲレオタイプ(銀板) 写真に撮らせた。これが、日本人によって日本人が撮影された最初の写真となる。 安政 4 年、島津斉彬の密命により琉球(沖縄)に渡りフランスとの交渉に当たるが、 島津 斉彬の急死により頓挫。 島津斉彬の死後は次の藩主・島津久光の側近となり、集成館事業に携わり、大砲・火薬製造を担当。 文久 2 年以降、琉球通宝、天保通宝の鋳造にも関わった。 明治に入り、島津家の修史事業に従事。 明治 36 年、死去。

なお、バンコクで成功した写真師・磯長海洲の祖父・磯永孫四郎周徳は、寺師正容(市来四郎の実父)の門人であった。

生年/出身: 1828 鹿児島(城下南新屋敷)

開業年:

開業地、主要拠点: 鹿児島

師匠:

弟子: