【古写真の調査後売却】尖閣諸島視察船長・林鶴松

林鶴松古写真鶏卵紙台紙
林鶴松尖閣諸島上陸視察日本郵船

◆広島呉港新道路・渡邊写真館 鶏卵紙

◆林鶴松
日本郵船会社「出雲丸」船長。
明治18年に尖閣諸島、魚釣島などを現地調査している。これが日本の国土(領土)である証拠として、現在の国土問題に重要な意味を持つ一級の資料となっている。

◆明治18年、魚釣・久場・久米赤嶋回航報告書
尖閣諸島領土編入(1895年)の10年前、沖縄県が実施した現地調査の際に提出された、沖縄県が雇用した日本郵船会社の出雲丸船長である林鶴松による尖閣諸島回航報告書(写)。同諸島はこれまで外国船にも度々観測され、各水路誌にも詳述されているとし、水路誌中の尖閣諸島における記述を紹介しながら、実地調査において同船長が確認した事項を併せて記載している。作成年月日:1885年11月02日(明治18年11月02日)、編著者[日本郵船会社出雲丸船長・林鶴松]、収録誌『帝国版図関係雑件』所収「沖縄県久米赤島、久場島、魚釣島ヘ国標建設ノ件 明治十八年十月」外務省罫紙。

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◆日本の公文書から見た「尖閣諸島」無主地先占論
1885年11月~12月の経緯(目下、建設を要せずとの指示)。10月30日に出雲丸の入表島から那覇への帰路途中、魚釣島に上陸し実地調査をする。久場島は目視のみ、久米赤島には立ち寄ることすらしない。これが1895年までの日本側が行った唯一の調査。 11月2日に林鶴松船長が、11月4日に石沢兵吾五等属が魚釣島外二島巡視取調概略を森長義県令代理に提出する。当時、西村県令は上京中で森大書記官が県令代理。 11月5日に森県令代理は西村県令名で魚釣島外二島実施取調の義に付上申を書き、9月22日の西村県令の上申を「自己批判」。西村県令は受理後、これを破棄し、内務省に提出しない(しかし副本は那覇に残る)。 11月24日 上京中の西村県令は山県有朋と井上馨に書面伺を出す。国標建設は清国と関係するおそれあり、不都合を生じてはいけないので、至急御指揮いただきたい(実質は撤回を求める)と要請。 11月30日 山県有朋より井上馨宛照会 「書面伺之趣、目下建設を要せざる儀と可心得事」との沖縄県への「指令案」を提起。12月4日に井上外務卿は外務省も同意見であることを表明。 12月5日 山県内務卿は三条実美太政大臣に「国標建設の儀は清国に交渉し、彼是都合も有之候に付、目下見合わせ候方、可然と相考候」と国標建設を見合わせる方針を内申する。12月8日に沖縄県への指令として「書面伺之趣、目下建設を要せざる儀と可心得事」が内閣で了承され、正式決定となる。 すなわち85年10月には清国の疑惑を招くことを恐れた外務卿が不同意のため国標建設を求める太政官上申案が廃案に、12月には沖縄県令の説得が功を奏し、内務・外務は見解は一致させ、国標建設を見合わせる指令が発せられた。理由はこれらの島嶼が無主地ではなく、清国に属することを理解したからである。 しかし「目下のところ建設を要しない」という曖昧な表現で幕引きを図ったやり方は将来に禍根を残すことになる。 那覇に保存されていた森大書記官の僣称上申を西村県令の見解と思い込んだ丸岡莞爾県知事は90年1月13日「無人島久場島魚釣島之義に付伺」を提出する。93年11月2日にも奈良原繁県知事が「久場島魚釣島へ本県所轄標杭建設之義に付上申」を提出する。いずれの上申も久場島・魚釣島を沖縄県管轄下に置かせてほしいとの要求であるが、内務省は認めない。どうしてか。85年12月8日の沖縄県への指令は有効で、内務省は指令を覆すに足る事実が存在しないことを知っていたからである。