宇佐美 竹城(うさみ ちくじょう)

宇佐見 竹城写真師茨城

天保12年、茨城常陸國太田市(現在の東二町)に生まれた。名は宇佐美翼。生年は、太田市塙町・浄光寺にある墓石の「行年四十九、明治22年死去」により逆算。本郷は太田市白羽町で、農地も大きく、薬種業も営んでいたという。父は小泉檀山(小泉斐)の門人で斐北宗画や四条派など各派を学び一派をなした常陸太田の画家・宇佐美太奇(宇佐美弘毅)。画家の宇佐美奇玉(天保 14 年生)は弟と思われる。父の画法を学び、明治元年に江戸に出て蘭学やオランダ文学、英語を学ぶ。 明治4年頃、横浜で写真術を学ぶ。下岡蓮杖の門人(または孫弟子)と伝わるが、下岡蓮杖側の弟子一覧には記載されておらず、確定できていない。明治4年(5 年とも)、水戸市雷神宮境内に写真館を開業。明治20年、皆既日食の撮影に成功しており、写真が残されている。明治 22 年、死去。娘の宇佐美みちが助手をしていたが跡を継がず、門弟の松本信夫が跡を継いだ。同じ水戸に松本謙吾という写真師もいるが、松本信夫との関係性は不詳。松本謙吾も明治20年の皆既日食を撮影している。なおこの日食は内務省の委嘱で小川一真も撮影している。

生年/出身: 1841 茨城(常陸國太田市)

開業年: 1871

開業地、主要拠点: 茨城(水戸市雷神宮境内)

師匠:

弟子: 松本 信夫