太田 務(おおた つとむ)

太田楽水軒写真師台紙鶏卵紙

太田家は備前一宮の社人、難波次郎経遠の子孫と伝わる。難波二郎経遠は備前国豪族で、平清盛の侍大将。また吉備津彦神社の神職を勤めていたと伝わる。代々西 花尻村の庄屋を勤めていた その子孫・太田宗玄の子、太田勝直は慶安元年頃の生まれと思われ、墨龍翁窮神と号す書道家であり、俗名は助内。洛陽(京都)に住み、備中国庭瀬藩主・板倉重高の祐筆であったと伝わる。西花尻村に墨龍翁窮神の記念碑なども残る。 晩年西花尻村に戻っている。その 6 代後の子孫が太田直温という書道家と伝わる。 直温の孫が、太田務の実父・守屋庸庵である。 守屋庸庵(本姓は石原。字は惟通。通称は朴平。号は如竹。)は天保 2 年生まれの蘭方医。弘化 4 年に大 坂で緒方洪庵(同じ岡山出身、足守藩士の子)の適塾でまなび、郷里の岡山に戻り「足守除痘館主任」となり、のち紀伊平山の春林軒塾で外科と軟膏製造術を学んでいる。母は岡山藩士(浅口郡大江村)三宅惟述の娘、三宅麻沙延という。6人兄弟の4人目が太田務で、次男、守屋甫一郎は、岡山藩医で・緒方洪庵の弟子「津下精斎」の養子となり、のち陸軍軍医となっている。守屋庸庵の実父は足守藩士・石原官平光徳といい、緒方洪庵の縁者であるという(洪庵の母は石原姓)。太田務の詳細は不明であり、 地元岡山で写真技術を習得したと伝わるのみで、父・守屋庸庵 から学んだかも定かでない。幕末または明治初期に、西中山下に「太田楽水軒」という写真館を開く。

生年/出身: 岡山(賀陽郡西花尻村)

開業年:

開業地、主要拠点: 岡山(西中山下、東中山下市役所前)

師匠:

弟子: