【古写真の調査後売却】子爵・鍋島直縄、邸宅前での家族写真

佐賀鹿島藩主・鍋島直縄家鶏卵紙古写真

◆鍋島 直縄
日本の政治家、実業家、華族。
1889年に鍋島直大の四男(二男とも)として生まれ、1897年に子爵鍋島直彬の養子となる。

1908年に東京府立第一中学校(旧制。現・東京都立日比谷高等学校)を卒業し東京外国語学校の独逸語本科に入学。1911年に同校を卒業するとドイツ帝国に留学した。ベルリンを経てドレスデンに移り、1912年10月6日にザクセン王立ターラント林科大学(現・ ドレスデン工科大学)の林学科に入学した。林学や植物学を学んで1914年3月に修了証書を受け取り、続いてミュンヘン大学の林学科で研究を行なっている。

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日独戦争開戦前の同年8月12日にロンドンに移り、数か月間滞在した後にアメリカを経て12月24日に帰国した。佐賀百六銀行の頭取を務めた。また、1915年に養父・直彬が亡くなると子爵になり、1925年に貴族院議員に選ばれている。1929年に司法大臣秘書官となり、1931年に発足した第2次若槻内閣から犬養内閣で海軍参与官、1936年の廣田内閣から林内閣では内務政務次官を務めた。1937年には貴族院慰問団として定州に派遣されている。1939年4月29日に東京府渋谷区代々木上原の自宅で黄疸のため亡くなり、長男の鍋島直紹が家督を継いだ。