【古写真の調査後売却】明治時代の女官2名

肖像写真鶏卵紙女官

◆女官(にょかん/にょうかん)
官職を持ち宮廷に仕える女性のこと。官女(かんじょ)・宮女(きゅうじょ)ともいう。「女官」とは、大内裏において太政官以下の官司に勤務する男性官人に対して「内裏において後宮十二司に職掌を持つ女性官人」を指す。10世紀以後に発生した後宮十二司制度の解体後は、内侍司を中心とする「内裏に仕える女性官人」のことを指したとされる。平安時代と江戸時代の天皇の後宮については比較的豊富に史料が伝存しており、従来考察がなされているが、中世になると、経済的な困窮から天皇の御所(禁裏)の規模が極限まで縮小したこともあり、後宮の内情についてあまり解明されていない。

8世紀の律令法(後宮職員令)において用いられていた用語は「宮人(くにん/きゅうにん)」であり、これは男性官人と女性官人の区別なく用いられている。女性官人が「女官」と書かれるようになったのは、弘仁年間に編纂された弘仁格式や内裏式に「女官」の語が登場することから、800年前後と考えられている。

有職故実から、三等官(尚侍・典侍・掌侍)に代表される高位女官を「にょかん」、雑任の女官を「にょうかん」と呼んだと通常は考えられている。なお、明治2年(1869年)以後は「じょかん」が正式な読み方とされた。

詳細は「後宮」、「後宮十二司」、「女官除目」、「内侍司」、「命婦」、および「女房」を参照
平安時代には蔵人所の設置によって女官が担当してきた分職務も男性官人が行うようになり、また天皇が直接参加しない政務や儀礼の場の増加に伴って天皇に随って政務や儀礼に参加してきた女官の役目も減少したことにより、後宮十二司は機能が縮小して最終的には内侍所へと統合されることになる。しかし、天皇の食事や私的な祭祀への奉仕は女官が勤めるものという考え方がその後も残っており、女官の制度がその後も続いた背景であるとみられている。

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なお、后妃や天皇に仕えた「女房」が「女性官人」だったかどうかは結論が出ていない。多数の女房がすべて女官除目で女性官人として叙位任官を受けていたことを示す記録はなく、后妃が私的に主従関係を結んだ女性であったと考えるのが一般的である。天皇についても、南北朝時代以降は、天皇の生母を例外として叙位任官を受けることはなくなり、后妃を立てることもなくなったため、多くの女房が天皇の側室を兼ねている状態だった。

江戸時代には女官は女房と女中に分けられ、女房の中でも尚侍・典侍・掌侍を御局、命婦・女蔵人・御差を御下と呼んで、前者は天皇と直接会話が可能、後者は目通りのみが可能、それよりも下位である女中に属する御末・女孺・御服所は天皇と顔を合わせることもできなかったとされる。なお、同時期の仙洞御所や女院御所では上臈・中臈・下臈の区別が行われていたが、上臈は尚侍・典侍相当、中臈は掌侍相当、下臈は御下相当とみなされていたとされる。