【古写真関連資料】写真師江崎礼二と、洋学者・柳河春三(柳川春三)

柳川春三写真師台紙鶏卵紙

◆柳河 春三(柳川春三)
幕末の洋学者。後に良三。姓は栗本、名は春蔭。初名は西村辰助。号は臥孟、楊江。オランダ語、英語、フランス語に通じる。
尾張藩に生まれ、砲術家上田帯刀や伊藤圭介に蘭学を学ぶ。
1856年(安政3年) – 江戸に出る。柳河春三と名乗る。
1857年(安政4年) – 和歌山藩の蘭学所へ出役。
1864年(元治元年) – 開成所で教授となる。
1868年(慶応4年) – 開成所で頭取となる。同年、「中外新聞」を17号まで発行。スタッフには開成所同僚の渡部温もいた。上野彰義隊を報じた「別段中外新聞」は、日本初の号外新聞となった。晩年は肺病を患っていたが平然と過ごし、誰も重病だと気づかなかった。
1870年(明治3年)2月20日 – 肺結核のため病没。享年39。和歌が得意であった。見舞いに来た宇都宮三郎と鰻を食した後に、「あぁ、美味かった。」と言い、喀血して亡くなった。

江崎 礼二は、柳河春三の『揚江柳河暾昕訳述 『写真鏡図説』 慶応3年初編、明治元年第二編』を購入、さらに眼鏡店(京橋竹川町・玉屋松五郎)でレンズを購入して写真術を独習した。