
◆写真の日
日本写真協会により設定された日で、6月1日である。この日は、日本独自の記念日である。
毎年、この日には日本写真協会賞の表彰がなされたり、この日をはさんで5月から6月にかけて「東京写真月間」が開催されたりしている(1996年以降。東京都内で、写真の日にちなんで、写真展を集中的に開催。例えば1998年の「女性写真家のまなざし-1945~1997」)。
日本写真協会内の「写真の日制定委員会」(そのメンバーは梅本貞雄など)により、1951年(昭和26年)に制定された。
昔の文献によると、天保12年(1841年)6月1日に、はじめて日本人により写真撮影がなされた(島津斉彬を写した)とされていたため、この6月1日を「写真の日」とした。しかし、その後、この点は間違いであることが判明した(正しくは、安政4年(1857年)9月17日であった)。ただ、いったん定めたこともあり、そのまま6月1日が「写真の日」とされている。
1951年制定された写真の日は梅本の説に基づいて6月1日になっている。上野俊之丞は蘭語、理化学、特に光学に精通していた。彼の熱心な研究により、ダゲレオタイプで撮影することは、短期間に習得しえると考えられた。天保12年(1841年)、西洋機器と薬物製造の委嘱を受けて薩摩藩の蘭学者松木雲徳、その養子藤太郎の案内で海路薩摩に渡り、6月1日、島津斉彬を撮影した。
しかし、現在(2014年)の時点でこれは誤りとされる。俊之丞の確実な輸入は嘉永元年(1848年)とされる。天保14年(1843年)には、蘭船がダゲレオタイプを船に載せたが、日本国内に上陸していない。しかも、天保12年(1841年)6月1日には島津斉彬は江戸藩邸に滞留中であった。
なお、日本に写真が渡来したのは嘉永年間とされる。最初にダゲレオタイプ(銀板写真)の撮影が成功したのは、安政4年(1857年)9月17日に、薩摩藩士市来四郎、宇宿彦右衛門らが藩主島津斉彬を撮影したもので、現在鹿児島の尚古集成館に保存されている。平成11年(1999年)6月、この銀板写真が写真としては初めて、国の重要文化財に指定された。しかし、一度決定した写真の日の変更はない。

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海外においても「写真の日」にあたるような日(World Photography Day)が「worldphotoday.org」により非公式に設けられており、それは「8月19日」である。この8月19日は、ダゲールによるダゲレオタイプの発明に基づく特許につき、それを買い上げたフランス政府が誰でも無償で自由に使用できる旨を宣言した日(1839年8月19日)である。2009年に設定された模様であり、日本の「写真の日」よりも歴史は浅い。