【古写真の調査後売却】アイヌ人の集合肖像写真(兵庫加古川の写真館)

アイヌ人の集合肖像写真(兵庫加古川)

◆アイヌ
北海道を主な居住圏とする先住民であり、少数民族である。独自の文化を有する。かつては北海道のみならず、北は概ね北緯50度線付近より南の樺太、東はカムチャッカ半島南部・千島列島全域、南は本州にまたがる地域に居住していた。母語はアイヌ語で、縄文人の遺伝子を色濃く受け継ぐ民族とされている。アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。生業から得られる毛皮や海産物などをもって、和人からは米などの食料、漆器、木綿、鉄器などを入手。黒竜江下流域や沿海州との山丹交易を仲介したほか、カムチャツカ半島南部の地域と交易を行い、永くオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。19世紀に列強の国々が領土拡張するにあたり、多くの先住民族が編入されたが、19世紀中頃にはアイヌも同様の運命をたどった。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約により、当時の国際法の下、一部がロシア国民とされた。現在、日本とロシアに居住し、日本国内では北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。世界の民族集団でこのような視点から「人間」をとらえ、それが後に民族名称になっていることはめずらしいことではない。これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族(和人、シサム・シャモ)とアイヌとの交易量が増加した17世紀末から18世紀初めにかけての時期とされている。アイヌの社会では、本来は「アイヌ」という言葉は行いの良い人にだけ使われた。丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言う。地域によって文化や集団意識が異なり、北海道太平洋岸東部に住したアイヌは「メナシクル」と称し、同様に太平洋岸西部のアイヌは「シュムクル」(シュムは西を意味する)、千島のアイヌは「クルムセ」もしくは「ルートムンクル」などと呼ばれるなど居住地域ごとに互いを呼びわけていた。大和民族(和人)は、アイヌのことを「蝦夷」、幕末期には「土人(その当時は純粋に「土地の人」や「地元の人」の意味で用いられた言葉であったが、近代の大正時代以降には次第に侮蔑感とともに使われるようになったとされる)」とも呼び、「アイノ」(=アイヌ)と呼んでいた。 その他にも一般的には「アイヌ人」「アイヌの人々」「アイヌ民族」など様々な呼び名があり、歴史的文書にも色々な言い方がされている。