【古写真の調査後売却】大林組葬儀(ガラス原板写真)

◆大林組
鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店とともにスーパーゼネコン5社の一つ。創業以来永らく、竹中工務店、奥村組、錢高組、鴻池組と並び大阪に拠点を置いていたが、2010年(平成22年)、登記上本店を東京に移転した。平成25年、大阪本店を大阪市北区に移転。みどり会・三水会とその後身社長会である水曜会の会員企業であり三和グループに属していると同時に大輪会の会員企業である。同社のコーポレートメッセージは「時をつくる こころで創る」である。

1864年 (明治3年) – 大林芳五郎が海産問屋林徳七の次男として大阪市靭永代浜に誕生。土木建築業見習いをへて1892年 (明治25年) – 阿部製紙所の工場建設を受注し、大阪(西区靱南通(現・西区西本町2丁目))で土木建築請負業・大林店を創業(1月25日)。
1904年(明治37年) – 店名を大林組と定める。東京事務所を設置。
1905年(明治38年) – 本店を大阪(東区北浜(現・中央区北浜2丁目))に移転。
1906年(明治39年) – 東京事務所を東京支店に昇格。
1909年(明治42年) – 合資会社大林組を設立。
1916年(大正 5年) – 店主・大林芳五郎が死去。大林義雄が社務を継承。
この頃、大阪電気軌道(近畿日本鉄道の母体会社)による生駒トンネル開削工事費用の未支払いが原因で、経営危機に陥る。実業家の片岡直輝の元で、大阪電気軌道とともに支援がなされて再建。
1918年(大正 7年) – 株式会社大林組を創立。
1919年(大正 8年) – 株式会社大林組に合資会社大林組を合併。本店を大阪(東区京橋(現・中央区北浜東6丁目))に移転。
1924年(大正13年) – 甲子園大運動場(現・阪神甲子園球場)竣工。
1926年(大正15年) – 本店ビル竣工。
1931年(昭和 6年) – 大阪城天守閣竣工。
1936年(昭和11年) – 株式会社第二大林組を設立。
1937年(昭和12年) – 株式会社第二大林組、株式会社大林組を吸収合併し、商号を株式会社大林組に変更。
1949年(昭和24年) – 建設業法による第1回登録(建設大臣)完了。
1961年(昭和36年) – 東京大林ビル竣工。東京支店を移転。
1970年(昭和45年) – 日本万国博覧会開催、お祭り広場など主要施設を手がける。東京支店を廃し、東京本社を設置。本社機能を移転。登記上本店(本店)を大阪に置く。
1973年(昭和48年) – 大阪初の超高層ビル、大阪大林ビル竣工。本店を移転。
このビルには国内において希少な存在である、パンタグラフ構造による可動機構を備えるダブルデッキエレベータが設置されている。
1978年(昭和53年) – 広報誌『季刊大林』を創刊。
1992年(平成 4年) – 創業100周年。