亀井 茲明(かめい これあき)

幼名は亀井亀麿。石見国津和野藩主・亀井伯爵家当主。華族。 父は孝明天皇の側近で、藤原北家堤家の堤哲長、兄に甘露寺家に養子に入った松崎万長、その他兄弟に堤 雅長、津守国敏。 妻は日向国飫肥藩の第 13 代藩主・伊東祐相の娘。息子に亀井茲常。 文久元年、藤原北家堤家の堤哲長の三男として生まれる。 明治 4 年、宮中にて明治天皇の給仕役を務める。 明治 8 年、亀井子爵家当主・亀井茲監の養子となる。 亀井家に入った後、津和野藩出身の洋学者・西周から学び、影響を受けた。西周は天保12年に藩校・養老館で蘭学を学び、文久2年には幕命で津田真道・榎本武揚らとともにオランダに留学し、徳川慶喜の側近としても活動している人物。明治 9 年、 亀井家の家督を継ぐ。 明治 10 年、イギリスに留学してロンドン大学予科等で語学・数学・英国史を学ぶ。 明治 13 年、帰国。 明治 16 年、宮内省に勤務。 明治 17 年、子爵となる。 明治 19 年、休職してベルリンへ留学。津和野藩出身の森鴎外の斡旋により、ドイツ語を習得した。 明治 22 年、パリ万国博覧会を観覧。 明治 25 年、伯爵となる。 明治 25 年、帰国。 明治 27 年、3人の写真師(橋本文三森金周学中村京次郎)を助手として日清戦争に従軍し、旅順などで撮影取材を行い、これが日本最初の従 軍カメラマンとなった。 明治 29 年、死去。

生年/出身: 1861(文久元年) 京都

開業年:

開業地、主要拠点: 島根(津和野)

師匠:

弟子: 森金 周学 森金 鼎一