

鶏卵紙、手札名刺サイズ
◆松本暢(石崎誠庵)
壬生藩御典医。足利郡富田村名主の次男として生まれる。師であった土浦藩士・藤森弘庵の媒酌で、現在の蘭学通りに居を構える壬生藩御典医4代目・石崎正達の娘婿養子となり5代目・石崎誠庵を名乗る。元治元年(1864)3月、筑波山にて挙兵した水戸天狗党に関与したことにより、壬生藩内からの暗殺を逃れるため脱藩。石崎家からも除籍される。なお、石崎家は石崎鼎吾(6代目)が跡を継いでいる。尾張藩士に用いられ、名を『松本暢』と改めた。明治維新の際に尾張藩を通して新政府の刑部省判事になり、のち権大判事まで進んでいる。改革派のリーダーとして藩政の立て直しに奔走し、鳥居忠文(第8代壬生藩主)や壬生藩士が新政府に出仕するにあたって尽力した。晩年は大平町富田に隠居し、名前を「盤峰園」とした。「栃木県教育史」には壬生藩との軋轢や脱藩後の京都における長州の木戸孝允、土佐の後藤象次郎、佐賀の江藤新平らと交流があったことなどが記されている。