
◆五十嵐 健治
日本の実業家。ドライクリーニングの白洋舎の創設者として知られる。自由党の新潟県会議員船崎資郎の子として新潟県に生れ、両親の離婚に伴い、五十嵐家の養子となる。1894年、日清戦争が勃発すると、軍夫を志願して陸軍従軍して朝鮮半島へ行く。1895年三国干渉の際には、ロシアに復讐するために北海道からシベリアへの渡航を企てる。しかし裏切りにあって、重労働を強いられるタコ部屋へ入れられる。脱走して北海道の小樽まで逃げた時、旅商人からキリスト教のことを聞いて洗礼を受ける。東京に移り廣瀬太次郎の紹介で、三越に入社、宮内省担当に抜擢される。キリスト同信会の教会に所属して、プリマス・ブレザレンのH・G・ブランドの薫陶を受けた。日曜日の礼拝に出席できないため三越を退社する。銀座の日本聖書協会の店先で、事故で手足を失い盲人になった人が、舌で点字聖書を読んでいるという写真を見て感動して、聖書を一日一章読む、一章会を提唱した。1906年に日本橋呉服町に白洋舍創立。ドライクリーニングの研究に没頭し、1907年に独力で日本で初めて水を使わぬ洗濯法の開発に成功。 1920年白洋舍を株式会社に改組した。その経営方針は、どこまでも信仰を土台として経営することであるとしている。本社の近くや多摩川工場内にも教会堂を建設した。1921年、乗松雅休の死去の際には、遺骨を朝鮮まで運んだ。1941年に太平洋戦争が起ると社長の座を譲り、残りの生涯をキリスト教の伝道に費やした。1957年頃、クリーニング業者福音協力会を起した。1956年には病床にあった堀田綾子(三浦綾子)を尋ねた。この事がきっかけで後にクリスチャンになった三浦綾子は後に五十嵐の伝記「夕あり朝あり」を著した。株式会社白洋舍(はくようしゃ)は、日本のクリーニング業界最大手の老舗クリーニング会社である。本社は東京都大田区下丸子2丁目11番8号白洋舍創業者五十嵐健治の半生は三浦綾子の「夕あり朝あり」に記されている。彼は最初、北海道の開拓団に加わるが、うまく行かず、自殺を考えながら小樽の町をさまよっていた際、夜の明かりに引かれてキリスト教会に導かれ、自殺を思い留まった。19歳のときに五十嵐は洗礼を受け、クリスチャンとなる。その際信仰の先輩の会社を参考にしたとされる。五十嵐が白洋舍を創業する前は職を転々とし、その中で洗濯屋とも出会う。のちに廣瀬商会を設立する廣瀬太次郎の紹介で百貨店の三越(現在は三越伊勢丹ホールディングス傘下)に在籍。10年間働き29歳の誕生日に独立。当時の三越の専務、日比翁助の許可をもらう。役員や三井グループなどの取引先を紹介してもらう。また三越から松坂屋(現:大丸松坂屋百貨店〈J.フロント リテイリング傘下〉)に役員が移った関係で最初の支店を名古屋に出すことになる。そのため松坂屋の本店に白洋舍の取次店が今でも存在する。また松坂屋と白洋舍はユニフォームレンタルの企業である栄リネンサプライに出資している。また白洋舍の社外取締役に松坂屋の社長、株式会社廣瀬商会の社長が名を連ねている。なお社名に「舍」(旧字体)の字を使用している理由は、創業当初会社組織ではなかったために小屋を意味する「舍」の字を当てたため。新字体の「舎」を使用していないのは「突き出さず謙虚に世の中の方々に奉仕する心を常に持つ」ことを表す意味がある。