篠山藩士。父は内藤中虚。次男として生まれた。のち安藤家に養子に入り跡を継ぐ。
明治元年頃、藩命で京都へ出張し、滞在中に写真術を学び、写真機材を購入し篠山へ持ち帰った。これによって、篠山に写真術がもたらされた。
篠山城を県から300円で買い戻して篠山町に寄付。
明治8年、旧城の大書院を弟子の教育の場にするため、「篠山小学校」を開設。
明治9年、安藤直紀ほか藩士13名が、藩主・青山忠誠に協力して私立篠山中年学舎(私立鳳鳴義塾)を春日神社内に設け、藩内の弟子を教育した。
明治12年、多紀郡長。
明治16年、鳳鳴義塾長。
明治21年、兵庫県会議員。
明治22年、篠山町長。
明治44年、死去。
墓は来迎寺。歌人としても名を残している。息子の安藤紀三郎(明治12年生)は、陸軍中将、国務大臣、内務大臣を歴任した人物。
生年/出身: 1837
開業年:
開業地、主要拠点: 兵庫(篠山)
師匠:
弟子: