
◆当道座
中世から近世にかけて日本に存在した男性盲人の自治的互助組織。仁明天皇の子である人康(さねやす)親王は盲目(眼疾による中途失明)であったが、山科に隠遁して盲人を集め、琵琶、管弦、詩歌を教えた。人康親王の死後、そばに仕えていた者に検校と勾当の官位を与えたとする故事により、当道座の最高の官位は検校とされた。
鎌倉時代、『平家物語』が流行し、多くの場合、盲人がそれを演奏した。その演奏者である平家座頭は、源氏の長者である村上源氏中院流の庇護、管理に入っていく。室町時代に検校明石覚一が『平家物語』のスタンダードとなる覚一本をまとめ、また足利一門であったことから室町幕府から庇護を受け、当道座を開いた。久我家が本所となった。
江戸時代にはその本部は「職屋敷(邸)」と呼ばれ、京都の佛光寺近くにあり、長として惣検校が選出され、当道を統括した。一時は江戸にも関東惣検校が置かれ、その本部は「惣禄屋敷」と呼ばれ、関八州を統括した。座中の官位(盲官と呼ばれる)は、最高位の検校から順に、別当、勾当、座頭と呼ばれていたが、それぞれは更に細分化されており合計73個の位があった。
官位を得るためには京都にあった当道職屋敷に多額の金子を持っていく必要があった(江戸の惣禄屋敷が設置されていた時には、関八州の盲人はここで官位を受けた)。そのような背景をもって座頭市のような物語が描かれている。
当道座は男性のみが属することが出来る組織であり、盲目の女性のための組織としては瞽女座があった。また、盲僧座とよばれる別組織も存在し、しばしば対立することもあった。