
◆写真師・池田亀太郎
父は浜町の荒物屋・池田亀蔵。長男として生まれる。東京で写真術とクリーニング術を学ぶ。当初は肖像画を描くために写真術を学んだが、写真を本業として地元に戻り写真館を開業。のち息子の池田正吉が継いだ。写真をもとに肖像画の制作も行った。明治 17 年、画家・高橋由一が酒田に逗留した際に接触があったと思われ、作風が類似した鮭の絵を残し ている。大正14年死去。末弟(六男)の池田亀三郎は、石油化学工業協会会長などを歴任した実業家。なお、同姓同名の出歯亀事件の犯人とされた人物がいるが、無関係。
◆池田亀三郎
日本の技術者、実業家。旭硝子(現AGC)社長や、石油化学工業協会会長を務めた。山形県出身。1909年東京帝国大学工科大学採鉱冶金科卒業、三菱合資入社。三菱鉱業技師長や、三菱鉱業取締役を経て、1939年に山田三次郎が死去すると後任の日本化成工業社長に就任。1943年からは旭硝子社長も務め、1944年には旭硝子と日本化成工業の合併による三菱化成工業の設立にあたった。1944年旭化学工業奨励会理事長。第二次世界大戦後は公職追放対象者となるが、1950年10月に解除。1958年石油化学工業協会会長。