菊池 冨太郎(きくち とみたろう)

水戸藩士、江戸藩邸徒目付。
嘉永元年、藩主・徳川斉昭は、家臣の菊池忠を長崎に派遣し、写真術を研究させたという。
安政元年、藩主・徳川斉昭は、家臣の菊池冨太郎を長崎に派遣し、写真術を研究させたという。
菊池忠と菊池冨太郎が同一人物か、関係性は不詳。幕府資料や福沢諭吉の関係資料に、菊池冨太郎の長崎遊学のことは記されており、現地では福沢諭吉のほか、村田蔵六(のちの大村益次郎)、本島藤太夫などがいた。菊池冨太郎は黒船に乗船することを許され、大砲などを視察したという。

生年/出身: 茨城(水戸)

開業年:

開業地、主要拠点: 茨城(水戸)

師匠:

弟子: