大木 口哲(おおき こうてつ)

大木 口哲写真師台紙鶏卵紙

旧姓は森野。本名は森野石太郎。父・森野藤吉の二男として生まれる。写真材料商。東京写真材料商組合設立に関わっている。明治6年、上京し薬種商大木家に雇われ養子となる。大木勝右衛門と改め、のち十代目大木口哲となった。日本橋に新店を設け、伝来の霊薬五臓円のほか、同業者の調薬法を買収し、多くの薬を販売、大木合名会社を設立。大正2年、死去。東京売薬盛徳会幹事。日本製薬会社設立。東京売薬商組合頭取。全国連合売薬大会議長。東京製塩会社取締役。横浜米穀取引所理事長。横浜貯蓄銀行頭取。息子の大木良輔は、七生大木合名会社代表社員、應用製藥株式会社取締役、東京製鹽株式会社監査役。祖母は堀切勝右衛門長女・堀切その。二男大木宗三は東京府士族狩野豐勝の家督を相続。三女・大木登喜は京都府平民岡本辰次郞に嫁ぐ。初代・大木口哲は万治元年生まれの近江商人で、滋養強壮薬「大木五臓圓」を江戸両国広小路で売り出した。

生年/出身: 1855 長野(上田)

開業年:

開業地、主要拠点: 東京(日本橋、米澤町)

師匠:

弟子: