武谷 掠亭(たけや りょうてい)

写真術を研究していた時期がある。本名は武谷祐之。字は武谷元吉。号は武谷澧蘭。福岡藩医。父・武谷元立はシーボルトに学んだ医師で、武谷家は鞍手郡高野村で代々続く医家。武谷元立の長男。月形鷦窠、広瀬淡窓に儒学を学び、天保14年、大坂では緒方洪庵の適塾に初期から入塾し西洋医学を学んだ。郷里の筑前福岡に戻り、種痘の普及に務めた。なお、緒方洪庵の息子・緒方惟準が長崎留学の際は、後見人となっている。また、福岡藩主・黒田長溥の侍医となり、藩医学校賛生館(九州大学医学部)の創立(慶応3年)に尽力。賛生館の初代頭取となった。明治27年、死去。赤星研造は門人。

生年/出身: 1820 福岡(鞍手郡高野村)

開業年:

開業地、主要拠点:

師匠:

弟子: