
◆桂 太郎
日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。日露戦争時の内閣総理大臣で、西園寺公望(第12代・14代内閣総理大臣)と交互に首相を務めた期間は「桂園時代」と呼ばれた。「ニコポン宰相」の異名を持ち、通算在職日数は2,886日(2019年12月現在歴代2位)。第3次内閣は第一次護憲運動を受けて退陣し、その翌年に病没した。軍人としての階級は陸軍大将で、位階勲等功級爵位は、従一位大勲位功三級公爵。幼名は寿熊(ながくま)、左中(さちゅう)。号は海城(かいじょう)。諱は清澄(きよずみ)。元老の井上馨とは義理の親子の関係であり、児玉源太郎、川上操六とともに「明治陸軍の三羽烏」と称された。台湾総督(第2代)、陸軍大臣(第5代)、内務大臣(第18代)、文部大臣(第23代)、大蔵大臣(第13代)、貴族院議員、内大臣、外務大臣(第17代)内閣総理大臣(第11代、13代、15代:第1次桂内閣、第2次桂内閣、第3次桂内閣)などを歴任。「元老の一人であった」という説もある。長州藩士であり、毛利家の庶流で重臣であった桂家の出身で、大江広元や桂元澄などの子孫に当たる。戊辰戦争に参加し、明治維新後、横浜語学学校で修学し帝政ドイツへ留学。帰国後は山縣有朋の下で軍制を修学した後に陸軍次官、第3師団長、台湾総督を歴任した後、第3次伊藤内閣、第1次大隈内閣、第2次山縣内閣、第4次伊藤内閣で陸軍大臣を務めた。明治34年(1901年)6月2日、内閣総理大臣に就任、第1次桂内閣発足。日英同盟を締結し、日露戦争で日本を輝かしい勝利に導いた。西園寺公望と交代で首相を務め、「桂園時代」と呼ばれた。大正2年(1913年)2月20日に辞任する(第3次桂内閣総辞職)までの内閣総理大臣通算在職日数は「2,886日」で、その後の百年以上に渡り日本の憲政史上最長となった。戦前戦後を通じて永らく歴代一位となる総理大臣在職日数であったが、令和元年(2019年)11月20日に第90・96・97・98代内閣総理大臣安倍晋三が「2,887日」となり在職記録を更新された。明治33年(1900年)9月15日には、拓殖大学の前身である台湾協会学校を創立している。また、現在の獨協中学校・高等学校の前身である獨逸学協会学校の2代校長を明治20年(1887年)4月から同23年(1890年)7月まで務めた。第2次桂内閣時には韓国併合も行った。