

◆張二男松
トヨタ自動車元社長・会長 張富士夫の祖父。
唐津市出身で、教員生活四十五年のうち佐賀師範学校に四十年間勤務し、第十三代校長となり、県教育の発展に貢献された。
佐賀師範学校 校長。佐賀県立実業補習学校教員養成所 所長。
明治40年、帝国教育会から教育功労者として表彰を受ける。
◆横尾義勇
佐賀県士族の出身。佐賀師範学校、佐賀中学教員や佐賀高等女学校校長などを歴任した教育者。
息子(四男)の横尾敬義(1880年〈明治13年〉10月5日 – 没年不明)は、日本の海軍軍人、第九代佐賀市長。その提案した「魚雷肉攻案」は特殊潜航艇、別名甲標的の開発につながった。最終階級は海軍大佐。
次男の横尾尚は海軍少将まで進んでいる。
◆佐賀師範学校
第二次世界大戦中の1943年 (昭和18年) に、佐賀県に設置された師範学校。本項は、佐賀県師範学校・佐賀県女子師範学校などの前身諸校を含めて記述する。概要現・佐賀県成立の翌年、1884年 (明治17年) に創立された佐賀県師範学校を起源とする。1928年 (昭和3年) に佐賀県女子師範学校が分離独立したが、1943年(昭和18年)に再び統合され、官立佐賀師範学校となった。第二次世界大戦後の学制改革で新制佐賀大学教育学部 (現・文化教育学部) の母体の一つとなった。同窓会は 「有朋会」 と称し、旧制 (佐賀師範・佐賀青師)・新制 (佐賀大学教育学部・文化教育学部) 合同の会である。
◆張姓について
張富士夫は、在日中国人か韓国人と誤解されることに関し(“張”は漢族に発した姓である)、張の先祖は代々佐賀藩の教育指南方をしていたとされ(祖父は佐賀県師範学校校長)、近世の渡来者ではないため、親が日本人らしい名前だということで富士夫と名づけたと雑誌のインタビューで答えていた。一方、自らの民族的ルーツに関して「私の考えでは先祖が中国や韓国から来たのではないかと思います」と述べている。
◆張 富士夫
日本の実業家。元トヨタ自動車株式会社名誉会長、株式会社デンソー社外監査役、株式会社豊田自動織機社外取締役、東和不動産株式会社監査役、東海旅客鉄道株式会社社外取締役、公益財団法人日印協会理事・副会長、一般財団法人日中経済協会代表理事・会長、一般財団法人全日本剣道連盟会長。勲等は旭日大綬章。トヨタ自動車代表取締役社長(第4代、工販分離前から数えると第9代)、同社代表取締役副会長、同社代表取締役会長(第4代、工販分離前から数えると第8代)を務めたほか、社団法人日本経団連副会長、社団法人日本自動車工業会会長、財団法人道路システム高度化推進機構理事長、財団法人高速道路調査会副会長、財団法人財務会計基準機構理事、財団法人駐車場整備推進機構会長、内閣の教育再生会議委員、国土開発幹線自動車道建設会議委員、ソニーの社外取締役を務めた。旧満州大連市生まれ。父親は佐賀県出身。母親は山口県萩市出身。東京大学法学部卒業。1960年(昭和35年)、トヨタ自動車入社。米国ケンタッキー工場の稼動開始などを担当した後、1999年(平成11年)、奥田碩の後任として社長に就任。2005年(平成17年)まで務め、会長に就任。2009年の役員報酬は1億3200万円、2012年の役員報酬は1億4400万円。7年間の在任期間中、従来の車種を次々と廃止し、多くの新車種を発表した。張社長在任中最後の年度決算となる2004年度決算では2000年(平成12年)の日産自動車(カルロス・ゴーン社長)に続いて同社史上最高利益を記録。後任の社長は、原価低減の推進役を務めた渡辺捷昭。在任中準備に進められていたレクサスの日本展開も同年8月に果たした。2001年には、自動車殿堂(米国)による「最も優れた業界リーダー(Industry Leader of the Year)」に選出されている。2013年には代表取締役会長を退き名誉会長に就任し、豊田章一郎との2人の名誉会長の体制になった。2017年6月の株主総会をもって名誉会長を退任し、その後は相談役に就任した。元警察庁長官の國松孝次とは、東京大学時代に剣道部で共に汗を流した仲で、張が主将、国松が副将を務めた。トヨタ自動車入社も剣道の試合で声を掛けられたことがきっかけだった。現在も1日300回ほど竹刀で素振りしている。2011年、全日本剣道連盟副会長、日本体育協会第15代会長に就任。2013年からは全日本剣道連盟会長に就任。2005年5月、日本トップリーグ連携機構副会長に就任した。2006年6月よりソニーの社外取締役を務めているが、2003年から2005年6月まではトヨタのライバル会社・日産自動車のカルロス・ゴーン会長兼社長兼CEOもソニーの社外取締役を務めていた。2006年6月にCNNが公表した「重要な人物50人」の中の8人目として、日本人として唯一選ばれた。重要な人物50人(50 People Who Matter)2007年7月に在名古屋英国名誉総領事に任命された。名誉総領事は日本では初。財団法人YFU日本国際交流財団理事トヨタ自動車の生産部門に所属していた際に、トヨタ生産方式を編み出した大野耐一のもとで働いていた経験もある。張は大野の一番弟子である鈴村喜久雄(当時生産調査室責任者)の部下で、“カイゼン”(業務を改善すること)の極意を鈴村から直接伝授された。