小助川 直記(こすけがわ なおき)

別名に小助川三次。元矢島藩家老、のち写真師となっている。明治初期、八柳岩治郎は、東京で遊興中に写真に興味を持ち、小助川直記から学んでいる。明治 9 年、白崎民治に写真術を教えている。

矢島藩の小助川氏は、日本の戦国時代に出羽国由利郡の各地に存在し一揆結合の形をとっていた豪族「由利十二頭」の赤尾津氏に遡る。赤尾津氏は、由利郡赤尾津付近を中心に勢力があった武士団で、先祖は大井氏と称し、室町中期には小介川氏を称した。1450年(宝徳2年)に幕府から未進年貢等催促の遵行を促されている。所領の赤尾津は、当時日本海側の主要港であった。豊臣秀吉により由利地方最大の約4,300石を安堵されたと推定されているが、関ヶ原後に改易され、一族は大井氏、池田氏を名乗り最上氏に仕え、最上氏の改易後は、一部が佐竹氏に仕えた。後裔で矢島藩に仕えた一族は、小助川を名乗っている。
明治2年の矢島藩分限帳には、小助川直紀のほか、小助川郷大夫、小助川数馬、小助川兵之進、小助川太右エ門、小助川与市、小助川金之亟、小助川忠次、小助川光敦の名があるが、関係性は不明。

生年/出身: 秋田(矢島藩、由利郡矢島)

開業年:

開業地、主要拠点:

師匠:

弟子: 八柳 岩治郎 白崎 民治