【古写真の調査後売却】華族・柳生俊久、中将・河野通好ほか陸軍幹部(鶏卵紙、台紙貼付)

【古写真の調査後売却】華族・柳生俊久、中将・河野通好ほか陸軍幹部(鶏卵紙、台紙貼付)

◆河野通好
生年嘉永3年(1850年)、没年大正7(1918)年3月18日、出身地山口県。経歴明治2年京都練兵所に入り、4年陸軍少尉となる。西南戦争に従軍。日清戦争には歩兵第15連隊長(第2軍 第1師団 歩兵第1旅団)として出征、金州・旅順を攻略。30年少将に進むと共に台湾守備混成第2旅団長、ついで台湾補給廠長を務める。33年留守歩兵第21旅団長、37年留守第8師団長を歴任して、39年中将となった。

◆柳生俊久
日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍歩兵大佐。貴族院子爵議員。旧名・小笠原束三郎。越前勝山藩主・小笠原長守の三男として生まれ、1892年、子爵・柳生俊郎の養子となり俊久と改名。1915年10月8日に養父が隠居したことに伴い、同月20日、子爵を襲爵した。陸軍士官学校(旧10期)に入り、1888年7月28日、歩兵少尉に任官。以後、歩兵第1連隊中隊長、歩兵第5連隊中隊長、第1師団副官、歩兵第1連隊大隊長、松本連隊区司令官などを歴任。1913年8月31日、歩兵大佐に昇進し、1915年8月10日に待命となり、同年10月15日、予備役に編入された。1919年5月、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会所属で活動して、1932年7月まで2期在任した。その他、亀戸天神社司、若葉女学校長を務めた。