三枝 守富(さえぐさ もりとみ)

800石取りの旗本・三枝七四郎の長男。東京士族。幼少時には親族である駿河台の小栗家に同居していた。明治11年、大蔵省紙幣局内の写真撮影所で写真研究に従事。明治12年、印刷局長の得能良介らの古美術調査に参加し、鵜飼玉川とともに古美術の写真撮影を行った。明治16年、日本発のコロタイプ印刷による「明陳賢観音画帖」を制作。ほか「国華余芳」「朝陽画帖」などの着色画帖や写真石版による画帖も制作した。のち小倉鉄道取締役、日本坩堝各取締役などを務めた。妹の綾子は大隈重信夫人。妻・りうは、旧幕臣・青柳武三郎の二女。

生年/出身: 1844 東京(江戸)

開業年:

開業地、主要拠点: 東京

師匠:

弟子: