
江戸の地本問屋。広岡幸助、廣岡幸助、廣岡屋幸助とも表記される。広岡広幸、広岡菊寿堂、広岡栄泉堂と号す。姓は広岡氏。安政6年から明治年間にかけて、江戸の住吉町清次郎店、後に南新堀2丁目定兵衛店、深川佐賀町忠兵衛地借。明治8年、12月13日の大火で新吉原遊廓の630戸が全焼。深川へ仮宅が設けられ、そこで地本問屋の広岡屋幸助が写真師・中村董を雇い、深川八幡祠畔に写真館を開業。遊女の張見世禁止に伴う写真見世の需要を見込んだが失敗したという。中村董は信頼を失った。この広岡屋幸助の写真館を加藤正吉は経営を任されることになった。明治10年、加藤正吉は広岡屋幸助の写真館を辞め、自ら新吉原遊廓内に写真館を開業した。明治26年には日本橋呉服町26番地において地本問屋を営業。安政6年5月に地本草紙問屋に加入。歌川芳房、落合芳幾、月岡芳年の錦絵を出版している。大正7年7月14日死去。
生年/出身: 1828 東京(江戸)
開業年: 1875
開業地、主要拠点: 東京(江戸)
師匠:
弟子: