
◆電信局
電信に関する現業業務を掌る、逓信省所管の官署である。電報の受付、通信および配達などを取り扱う。 官制上は電話の現業業務をも兼業する所もある。逓信大臣は必要と認める停車場または船舶などに電信取扱所を設置し、また郵便局に電信の現業業務を兼掌させる。単独の電信局は東京、大阪、神戸中央電信局、および下関電信局がある。 逓信省管内の電信取扱局所は一等局、二等局、三等局、取扱所がある。臨時に大演習の挙行地、また登山期間、漁猟期間中など季節的に開設し、電報事務を取扱うことがある。
◆逓信省
かつて日本に存在した郵便や通信を管轄する中央官庁である。内閣創設時から第二次世界大戦中の行政機構改革で統合されるまで、交通・通信・電気を幅広く管轄していた。第二次世界大戦後にも復活して1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)まで存在したが、この時期には通信及び航空保安のみを管轄した。現在の総務省、国土交通省航空局、日本郵政(JP)、及び日本電信電話(NTT)は、1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)までの逓信省の後身に相当する。沿革1885年(明治18年)12月22日、内閣創設に際して逓信省が発足。農商務省から駅逓局と管船局を、工部省から電信局と燈台局を承継。逓信省の名の由来は駅逓の逓と電信の信をあわせたものである。1891年(明治24年)8月16日、電気事業の監督行政を所管。1892年(明治25年)7月21日、内務省から鉄道行政を移管。1893年(明治26年)11月10日、水運事業・陸運事業の監督行政を所管。1908年(明治41年)12月5日、鉄道行政を内閣所属部局の鉄道院に移管。1923年(大正12年)4月1日、陸軍省から航空行政を移管。1928年(昭和3年)11月5日、陸運事業の監督行政を鉄道省に移管。1938年(昭和13年)1月11日、厚生省設置。簡易保険に関する経営管理業務は逓信省から厚生省の外局たる保険院に移管。逓信省には、簡易保険の契約募集、周知宣伝、資金運用などの第一線業務のみが残留。1940年(昭和15年)6月20日、東京都大手町にあった逓信省航空局新館が落雷により出火。10省庁の庁舎に延焼した[3]が、重要書類の焼失は免れた[4]。1941年(昭和16年)12月19日、逓信省の外局として海務院を設置。逓信省内部部局の管船局と外局の燈台局は海務院に統合。地方部局においても、逓信局の海事部門を分離して、海務院の地方部局たる海務局を設置。1942年(昭和17年)11月1日、簡易保険に関する経営管理業務を厚生省から逓信省に復帰させ一元化。1943年(昭和18年)11月1日、逓信省と鉄道省を統合し、運輸通信省を設置。戦争中の海陸輸送体制強化を図るためである。逓信省の所管事務のうち、郵便・貯金・保険・電信・電話の事業は運輸通信省の外局たる通信院が所管。海務院の海事行政は運輸通信省海運総局が所管。航空行政は運輸通信省航空局が所管(ただし航空機製造業に関する行政は軍需省に移管)。電気行政は軍需省に移管。1945年(昭和20年)5月19日、運輸通信省から通信院を分離し、内閣所属部局として逓信院を設置。これにより、運輸通信省は運輸省に改称。1946年(昭和21年)7月1日、逓信院を廃止して逓信省を再設置。戦前の逓信省とは異なり海運・電気は所管せず、郵便、電気通信、郵便為替、郵便貯金、簡易生命保険、郵便年金及びこれらに附帯する業務並びに航空保安に関する事務を行う官庁となる[5]。1949年(昭和24年)6月1日、逓信省廃止。二省分離(郵電分離)により、郵政省と電気通信省を新設した。