父の飯沼武右衛門長矩は飯沼慾斎の義弟(養父飯沼長顕の二男)、かつ義理の甥(飯沼慾斎の実妹美那の養子)にあたる。飯沼本家は兄(四男)の飯沼武右衛門長温(1837年~1905年)が継いだ。弟(七男)に写真師・納屋才兵衛がいる。
飯沼長恪(飯沼慾斎の長男)の養子となる。明治5年、大阪理学校の教官を務めていたが廃校になり、大垣に帰る。明治5年、本格的な定量分析書、ドイツのフレセニウスの定量分析書(明石博高が招聘した医師・ハラタマが講義に使っていた)を翻訳。明治7年、「新訂草木図説」を刊行。のち秋田師範学校に赴任。明治期に写真術を習得している。
生年/出身: 1840 岐阜(大垣)
開業年:
開業地、主要拠点:
師匠:
弟子: