早期に開業していた痕跡がある。おそらく仙台で最初の写真師。 明治15年、見立番付『宮城人物見立一覧表』に写真師・遠藤陸郎(遠藤陸朗)、松尾柳外の2名が記載されているため、明治15年の時点で高桑義守は廃業している可能性がある。
明治21年7月3日の奥羽日日新聞に、帰天斎正一という当時有名な奇術師が、東一番丁・高桑義守方に宿泊したという記事が掲載されている。
なお、帰天斎正一は、明治17年1月27日の読売新聞には、写真器械薬種商・浅沼藤吉氏の第三回起業会で府下有名の写真師、薬種問屋の人々等六十余名参会されたという記事がある。さらには写真師・中島待乳は、明治10年頃、幻灯機の製造を試み、手品師・帰天斎正一から注文を受けている。
生年/出身:
開業年:
開業地、主要拠点: 宮城(仙台東一番町)
師匠:
弟子: