【古写真の調査後売却】女優・月丘夢路の肖像写真(現代のポストカード)

【古写真の調査後売却】女優・月丘夢路の肖像写真(現代のポストカード)

◆月丘夢路
日本の女優で、元宝塚歌劇団娘役の宝塚歌劇団卒業生である。本名:井上 明子、旧姓:旭爪。愛称は「ツメ」(旧姓から)。夫は井上梅次、娘は井上絵美。実妹は月丘千秋、月丘洋子。後年爆心地となった広島県広島市大手町(現:中区大手町)に薬局の長女として生まれる。袋町尋常小学校を経て、県立広島高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校)在学中に小夜福子の宝塚少女歌劇団(現:宝塚歌劇団)の舞台を観て、感激して宝塚少女歌劇団に入団することを決意する。反対する親を説得して女学校を中退した後、1937年、宝塚音楽歌劇学校に入学。宝塚歌劇団27期生。同期生に浦島歌女、大路三千緒、乙羽信子、越路吹雪、東郷晴子、瑠璃豊美らがいる。宝塚入団時の成績は93人中27。1939年、宝塚少女歌劇団生徒として『宝塚花物語』で初舞台を踏む(この初舞台の主演は小夜福子)。以降、その類稀れな美貌で娘役スターとなり活躍。なお、後の映画『満月城の歌合戦』でも小夜福子と共演。そして、日活移籍第1作となった映画『あした来る人』でも小夜福子は月丘の母親役を務めている。1940年、宝塚歌劇団在団中に宝塚映画『瞼の戦場』の主演で映画デビューした。1942年、『新雪』で水島道太郎と共に主演して大ヒットを記録した(主題歌は灰田勝彦)。1943年、歌劇団を退団した。最終出演公演は花組公演『心の故郷/希望の泉』。その後は大映に入社。1947年、轟夕起子に誘われて、轟の夫のマキノ正博が所長をしていた松竹京都に移籍し、松竹でもトップ女優として活躍。4歳下の妹・月丘千秋も宝塚音楽学校を経て松竹入りしており、映画『地獄の顔』で妹・千秋と共演している。夫・井上とともにジャニー喜多川と親交があり、関連会社の代表を務め、舞台などでジャニーズ事務所所属のタレントとよく共演したが、1971年6月に乗り合わせた車が交通事故に逢った際、フロントガラスの破片で顔に深刻な傷跡が残るほどの重傷を負ったことや、自身と夫の高齢に伴い、活動ペースを縮小していった。