中島 寛道(なかじま むねみち)

写真師中島台紙長崎

中島家の養子となる。文久元年、長崎でシーボルトに医学を学ぶ。文久 2 年、上野彦馬に化学と写真術を学ぶ。明治 3 年、細川公の招きにより熊本に写真館を開業。 明治 10 年、西南戦争で被災。 明治 14 年(15年とも)、島原に移転。外国人あてに雲仙の風景写真の販売もしていた。英・仏・蘭・露の各 4 か国語に堪能であったという。 大正 4 年、死去。 長女・中島八重の夫(養子)となった中島湊が継いでいる。中島湊の嗣子・中島実(1893年生)は、東京帝大を卒業し、金沢医大教授、名古屋帝大教授、東大教授、網膜の研究で著名な眼科医。

生年/出身: 1842 福井(越前国三国)

開業年: 1870

開業地、主要拠点: 熊本、長崎(島原)

師匠: 上野 彦馬

弟子: 中島 湊