深沢 要橘(ふかざわ ようきつ)

深沢 要橘写真師歴史

旧姓は清水、幼名は英吉。沼津藩医・深沢雄甫の養子となる。 深沢家は甲州の郷士であり、深沢雄甫の2代前に医業を始めていた。深沢雄甫の父は長崎で修業した沼津藩医。 深沢雄甫は緒方洪庵の適塾に入塾し、帰郷後、藩医のかたわら医業・医学塾を開き塾生を教育し、明治期には静岡県の医務取締、検疫医員などを務めた人物。
深沢要橘は元治元年、江戸に出て蘭方医・杉田玄瑞に師事。 慶応元年頃、薬研堀の写真師・鵜飼玉川と知り合い、写真に興味を抱く。 幕末期、幕府の開成所に入り、維新後も後身の大学南校に英学を修めた。 のち同校教師になり、淡路町の共立学校教頭となり英語や写真化学を教えた。 明治 4 年、天皇に写真術を進講。 明治 5 年、北庭筑波の依頼で英書を翻訳した写真技術を東京の写真師たちに講義。 明治 7 年、北庭筑波とともに日本初の写真技術雑誌である「脱蔭夜話」を創刊。 明治 14 年、東京・京橋三十間堀で開業。乾板製造法も研究した。 明治 22 年、二見朝隈と雑誌「写真新報」の発行を始め、主幹を務めた。 晩年は伊東に隠居。著書に「最近印画法」がある。

生年/出身: 1847 静岡(駿河国沼津)

開業年: 1881

開業地、主要拠点: 東京(京橋三十間堀)

師匠: 鵜飼 玉川

弟子: