鵜飼 玉川(うかい ぎょくせん)

鵜飼玉川写真師

父は常陸国府中藩士・遠藤三郎兵衛。 江戸藩邸で生まれ、のち母方の姓「鵜飼」を名乗る。 通称は幾之助、三次、三二。号は玉川。 書画骨董の収集・鑑定なども行い、谷文晁や渡辺崋山、文人画家・椿椿山らと交流があった。 はじめ医業を営む。 安政 6 年、横浜で米国人オリン・E・フリーマンに湿式コロジオン写真術を学ぶ。 文久元年、両国薬研堀で写真館「影真堂」を開業。 文久元年 7 月に出版された「大江戸当盛鼻競・初編」の番付に、「写真 玉川三次」とある。 文久元年 8 月 19 日、福井藩の記録に前藩主松平春嶽が玉川を呼び、横井小楠の肖像写真を撮影させたと 記載されている。深沢要橘は慶応元年頃、薬研堀の写真師・鵜飼玉川と知り合い、写真に興味を抱いたという。明治 2 年、廃業し、古物鑑識を専業とする。 明治 5 年、正倉院の宝物調査に加わる。 明治 12 年、大蔵省印刷局長・得能良介による近畿・中部地方の古美術調査に随行し、三枝守富(のち総 理大臣大隈重信の夫人綾子の実兄)とともに写真撮影を担当。 明治 16 年、東京・谷中墓地に湿式原版数百枚を埋め、写真塚を建立。 明治 20 年、死去。 昭和 30 年、写真塚の発掘調査が行われたが、石碑の重みで容器が破壊され、完全な原版はわずか数枚し か残らず、それらも発掘直後に膜面が剥離してしまったという。

生年/出身: 1807 東京(江戸小石川)

開業年: 1861(文久元年 )

開業地、主要拠点: 東京(両国薬研堀)

師匠:

弟子: 深沢 要橘