
三島常盤の弟子として名が残る。明治34年には北一条西三 丁目に武林写真館支店の責任者となっている。のち十勝芽室へ行き独立開業。
祖父は松井梅屋、父は松井竹山と書かれた台紙がある。
松井梅屋は本名を松井元輔といい、安永元年生まれの仙台藩医で詩人として三家詠物詩(文政8年)、東坡先生詩鈔(文化3年)などの書物が残っている。文政9年死去)。松井竹山も詩人として活躍しており、門人には画家の佐久間晴岳などがいる。松井梅屋の家系を遡ると、仙台藩の幕府医官今大路家を世師とする松井玄達昌晶が始祖。松井玄達昌晶は貞享3年に伊達綱村に仕えて江戸に住んだが、元禄4年、奉薬に進んで三百石を賜わり、仙台に移居した。宝永9年には四百石に加増された。松井玄達昌晶の子、松井玄水昌謙(はじめ松井玄徳昌謙、松井寿哲とも)は、元禄12年に番医師となり、享保5年に近習組となっている。松井玄水昌謙の子、松井玄潤昌胤は正徳5年に仙台藩医学校助教となっている。松井玄潤昌胤の孫が松井梅屋(松井玄輔長民)。松井梅屋の妻は俳人・岩間乙二の娘「岩間きよ」といい、後に松井溶々という名で俳人として活躍した。
生年/出身: 宮城(仙台)
開業年:
開業地、主要拠点: 北海道
師匠: 三島 常盤
弟子: