三島 常盤(みしま ときわ)

本名は吉野正治。 新潟県刈羽郡二田村の物部神社神官、吉野民次郎の次男として生まれた。 吉野家は代々神官を務める家であった。 しかし、吉野民次郎は神官の道を避け、慶応年間に江差に出稼ぎに行き、年の半分(春夏)は蝦夷地で過 ごしていた。 慶応 4 年、吉野民次郎は箱館戦争が勃発し帰れなくなり、蝦夷地で越冬する。 明治 2 年、吉野民次郎は後志国余市郡山臼村に移住。 明治 4 年、吉野民次郎は、札幌へ移住。 明治 6 年、吉野民次郎は、余市郡山臼村に戻った。 明治 5 年、三島常盤は物部神社や三島神社の神官となる。 明治 6 年、父の「西洋伝来の技術を身につけるべき」との勧めにより、神職を辞して北海道へ移住。 のち、武林盛一の弟子となる。 明治17年、実子の三島磐雄(のち小説家・武林無想庵)は、武林盛一の養子となり、一時期は写真館を手伝った。
明治 30 年、森川愛三が学んでいる。 三代目武林写真館本館(札幌南二条西一丁目)は養嗣子の三島徳次郎が継いでいる。 三島徳次郎が、大正13 年死去。 すでに南一条西六丁目で写真館を開業していた三島常盤の弟子・青木露村(直司)に貸して営業させた。息子は小説家の武林無想庵。なお、武林無想庵は幼少時に武林盛一の養子となっており、自らを武林盛一と名乗った時期もある。

生年/出身: 1854(嘉永 7 年とも) 新潟(刈羽郡二田村)

開業年:

開業地、主要拠点: 北海道

師匠: 武林 盛一

弟子: 森川 愛三 小川 顥三郎 青木 直司 青木 露村 青木 終一 二宮 専司 大条 秋畝 松井 千代三 大館 功造 福島 一策 大塚 福明 松平 三郎 高橋 淸次郎 白川 富吉 伊藤 繁三 小西 保 土田 喜一郎 奥村 幸七 奥村 藻山 武林 無想庵