
薩摩藩士。 父は伊地知季幹。六男。名は行誼。 のち宇宿氏を継いだ。 江戸で造船、電信、写真などを学ぶ。 帰藩後は集成館掛として、江夏十郎直義(小納戸)、市来四郎、中原猶介らとともに、藩主・島津斉彬の 命を受け、反射炉築造や蒸気船の製造に従事。写真術、電信などの実験を行った。 薩英戦争では日本最初の電気で爆発させる水雷を敷設。 長崎海軍伝習所に参加し蒸気機関の伝習を受ける。 万延元年以降、海事に従い、船奉行添一代新番となった。 安政 4 年 9 月廿日、薩摩藩主島津斉彬が、宇宿彦右衛門と市来四郎に命じて、自分の姿をダゲレオタイプ (銀板)写真に撮らせた。これが、日本人によって日本人が撮影された最初の写真となる。 文久 3 年、幕府から借用した長崎丸で下関海峡を通過中、長州藩(長門萩藩)の砲撃をうけて沈没、死去。
生年/出身: 1820 鹿児島(薩摩)
開業年:
開業地、主要拠点: 鹿児島(薩摩)
師匠:
弟子: